REV,120513、120518、120520、120522、120525
1307、1310
▼PM.10.30〜は2次会ということで、セッションが・・・
▼パッシングレーン(ホンダ) お疲れ様でした! PM.21.20〜
▼Precious with 204丁目 PM.20.50〜
▼HBB(マツダ) PM.18.10〜
▼DEZAPEPE(トヨタ) 重厚感 PM.17.30〜
▼CO711 こんな大勢のステージだった? ご家族と愛犬も入って記念撮影!PM.16.00〜
▼AREA2 (日産他) PM.15.20〜
▼トップバッター トヨタTDB 4管+編成にパワーアップして登場しました。 PM14.00〜(オープニング)
当時=15〜16年前―皆さん、とても若いです。
出演バンド増に応えて、会場も大型化していきました。インクスティックは、湾岸の倉庫改造型大型スタジオでした。
(右)この15年前の笑顔! ほかでは(たぶん)見られない笑顔です。
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第5回 インクスティック 1992年12月5日
MCを武藤まどかさんが進め、会場は大いに盛り上がりました。最後には自身でも歌ったりとても面白く進行しました。 この回あたりから女性パワーが急増し始めました。 (右下)ほかのミュージシャンとその場で組んで演奏する業界横断型 ”セッション” も始まりました。
■W2 BAND GASSENの歴史 これが始まり・・
第1回目は規模も小さく、主催者も若かったので、プロのバンドとコーラスガール?を率いてカントリーを歌うというステージ?が実現しました。ニッティグリティダーティーバンドの”Turn of the Century” を気持ちよく歌いましたが、感動を与えるレベルにはいたりませんでした!
→(自分のテクニックは棚に上げても)音楽を楽しもうという姿勢が大切・・を、恥ずかしながら身をもって示しました。これが後に <誰でも参加できる雰囲気> をつくったのでした。
W2 BAND GASSENは、20数年前の平成2年,W2創立と同時に始まったミュージックライブです。毎年1回開催で、もう26回目を迎えることになりました。非営利活動、参加者・主催者ともに、次はもっと楽しく という方針で続けてきました。
私自身も会社員時代は少しバンドをやっていましたし、妹・川内マキが音楽関係者だったこともあり、新会社(W2)もスタートしたことだし、昔TVでやっていた”SoulTrain”のような音楽イベントができたらいいな・・、まわりには音楽好き、バンドやってるよ〜という人が多いから・・くらいの軽いノリから始めてしまったのです。
そのころの交際範囲は広くありませんでしたが、自動車会社のデザイナーには音楽好きが多く、バンドを組んでいる人がかなりいることは知っていました。そこで 「自動車業界のアマバンドを集めたW2の音楽パーティ」 第1回を開催するとして、出演の話を数社に持ちかけてみると、これがみな大賛成、二の足を踏む人は皆無!。恐れを知らない4〜5バンド+プロのバンド、お客様50人くらいがあっと言う間に集まってしまいました。名称については、ただの音楽演奏会よりも、自動車各社対抗のバンド合戦とした方がいいかも・・・という意見を採り入れて、「W2バンド合戦」としました。
プロのバンドと会場はプロデューサー役の川内が手配をして、銀座のど真ん中、ソミドの6F会場でお披露目することになりました。
●なるべくいろいろな人に出ていただこう ●飲み物と食べ物は音楽と同じ以上に用意しよう という不滅の基本方針も、このときに決まったものです。
これがW2 Band Gassenのスタートでした、その後、何回もの危機を乗り越え、20数年経った今、第25回目が無事に終了したのです。
▼マグナム川上とハネムーンロマンティカ こちらもあかるい家庭平和。北海道から参加2名も! PM.16.40〜
記録を見て思い出しましたが、当時は年に2回の開催をめざしてしていたのでした。しかし、さすがにこれは出演者にも主催者にも負担で、年に1回、年末に開催というスタイルになって行きました。
回を重ねる毎に出演バンドは増え続け、会場の手配が大きな問題になってきました。収容キャパシティと同時に、若者のはげしい飲食行動に対応できる場所 が前提になっているためです。
会場は、覚えているだけでも銀座ソミドに始まって、渋谷のクロコダイル、原宿のルイード、湾岸のインクスティック、大森のベルホール、六本木スパッツ、赤坂ヴァンガード・・・から19回目の歌舞伎町PBPまで、場所や大きさにはいろいろありましたが、 <飲食ができる、自由な雰囲気> <ホールは毎回変えたい〜>と言う方針の下で、川内が苦労をして交渉にあたっています。
バンド合戦を始めてみてわかったのは、殆んどの出演者が、音楽以外に生業を持っている(筈なのに)、みんな異常にうまい―プロをも凌ぐ純粋なうまさ―ということでした。どういう日常生活をしているのか、語っていただきたいものです。
さらに、回を進めるにつれ、改善好きの業界ゆえか日本人の性か、ますますテクニックの向上に拍車が掛かっていく姿には、思わず頭が下がってしまいます・・・。
19回目からは、忙しい年末開催から翌年の2月開催に移したところ、自動車業界の方には好評でした。今後は年前半開催の線で進めます。
■これも始まり・・
第1回目に大挙してご参加の某自動車メーカーデザイナー。学芸会チックでありながら、その後のW2Band Gassenの楽しさを追求する姿、今で言うエンターテイメント性のあふれるステージの楽しさを、これまた身を以って示してくれました。
これはW2 Band Gassenの <暗いテクニック競技会に走らない>という流れの源流となっています。仕事とステージ演奏(趣味)、酒と音楽など、普通は両立し得ないものが、ここでは融合し、程よくバランスを保ちながら、陰と陽を構成する・・・と言える世界が作られてきました。
第3回 ルイード(原宿) 1991年12月7日
第1回は、銀座SONYビルの6F、ソミドで開催しました。仕切り役はママさん歌手の川内マキで、会場、バンド、ケータリングなどを一人で手配して、開催にこぎつけました。
この時点で以降のいろいろな流れは決まったといえます。楽しめる音楽環境、酒と食事、1年に1度会う友達、業界の枠を超える・・・などがKeyとなり、殆どの人がリピーターとなったのです。かく言う主催者もそのとおりですが・・・。
REV.120525、131005
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▼T.D.B.(トヨタ) トリをつとめました。2ステージ、ご苦労様でした!
▼オー・ジーンズ 衰えぬパワー、浜松から参加です。PM.19.20〜
▼バ・バンド 新規結成! PM.18.50〜
写真集 : 24回W2 BAND GASSEN
2012年5月19日 BLUE MOOD
演奏がおわって、ほっと一息の集合写真です。P2時から始まってP10.30まで・・・背景が暗くなっていくのももっともです。
▼そして、更に進んで第21回 渋谷UNDER DEER LOUNGEとなりました。
20回記念には、ギターを頂き、大変良い記念になりました。ありがとうございました▼。
開催15回を超えるあたりから出演者の”音の質”に対する要望が急激に強まり、本格的ステージ構成へと変わっていきます。音響・照明、使用機器などのレベルを上げるため、スタッフも増えました。
←バンド合戦のお客様
▲歌手のころのマキさん
■ここでは、W2バンド合戦の歴史として、第1期黄金時代1回から5回目(平成2年〜5年、’91〜’93)あたりの写真を見ていただきましょう。
■音楽の種類は、初回からロック、ジャズ、ブルース、ボサノバ、オールデイズ、カントリーなどなど、なんでもありでした。いまだに参加いただけていないのは、邦楽、アジアン系、ハワイアン、タンゴなどでしょうか。このころの写真に写った赤ちゃんがいまや大学生、青年だった演奏者は―風貌はやや変わりましたが―今もステージで同じようにおじバンドで演奏しているという現実! とてもおもしろいですね。
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賑やかな竹下通りを右に折れて、すぐの地下にあったルイード。なかなかいい感じで2回開催しました。入口の厚い、鉄の防音扉が印象的でした。いろいろなバンドが現れました。
▼史郎 with Friends PM.20.10〜
▼Y&T(ホンダ) PM.14.50〜
▼バックギャモン(スバル) バンド合戦の平均年齢大幅改善に貢献しました! PM.14.20〜
●W2 BAND GASSENには 欠かせないミュージシャン達
第2回クロコダイル(渋谷)1991年6月29日
第2回目は、渋谷のクロコダイルに移りました。ぐっと”ライブハウス”となり、雰囲気が良かったと思います。出演バンドも異業種、年代層を厚くすべく全方位に勧誘した結果、おじ様カントリーバンドの出演も実現しました。右は初回からW2バンド合戦の中核を成すIさん。自動車デザイナーの傍らミュージシャンであり、元飛行機少年です。皆勤賞を差し上げたいです。
第1回 ソミド(銀座) 1990年12月29日
写真がたくさんありすぎて、とても全部は掲載できそうにありません。第8回(六本木スパッツ ’94/07)、第9回(赤坂ヴァンガード ’94/11)あたりまでをセレクトしてみました。
第19回新宿・歌舞伎町 PINK BIG PIG・・・
第4回 ルイード(原宿) 1992年6月20日
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